Tuesday, January 22, 2008

おもしろ古典教室 上野誠 ちくまプリマー新書 2006

第1章 古典を読むと立派な人になれるというのは間違いだと思います
 (はじまり!はじまり!;本を読むと立派な人になれるというのは間違い ほか)
第2章 こんな生き方をしたいと思ったとき
 (嫌いな文芸評論家との出逢い;温厚なわたしが講演会を途中退席した理由 ほか)
第3章 読むとこんなことがわかる、なんの役にも立たないけど
 (書物に問いかける;メナム川の夕陽 ほか)
第4章 人は遊びのなかに学び、時に自らの愚かさを知る
 (堕落する様子を歌舞伎で見る;またまた余談 ほか)

この本、おもしろいよ! 岩波書店編集部 岩波ジュニア新書2007

あさのあつこ あさのあつこの選ぶミステリー 吉橋通夫『なまくら』 
香山リカ 角田光代『まどろむ夜のUFO』 大槻ケンヂ『リンダリンダラバーソール』 赤川次郎『ふたり』
中江有里 遠藤周作『砂の城』佐藤多佳子『一瞬の風になれ』 『バッテリー』
三村美衣 ライトノベル
明川哲也(ドリアン助川)『ぼくと1ルピーの神様』
梅沢由香里(女流棋聖)『空色勾玉』『太陽王ラムセス』
川嶋あい 三浦綾子『氷点』佐藤多佳子『黄色い目の魚』『しゃべれどもしゃべれども』山田詠美『蝶々の纏足/風葬の教室』武者小路実篤『友情』
木戸理恵 『祈祷師の娘』
五嶋龍 『グレート・ギャツビー』『日はまた昇る』『白痴』『君主論』
早乙女愛 『ベルカ、吠えないのか?』
砂川恵理歌 『佐賀のがばいばあちゃん』
豊島ミホ 古川日出男『gift』
華恵 『算法少女』『世にも美しい数学入門』
前田愛 『キノの旅』江國香織『きらきらひかる』 安部公房 坂口安吾『モリー先生との火曜日』『天国の五人』 角田光代『だれかのいとしいひと』吉本ばなな『ベリーショーツ 54のスマイル短編』
山崎まどか(コラムニスト) ウリツカヤ『それぞれの少女時代』 ベイカー『ノリーの終わらない物語』 
渡部葉(エッセイスト) オリンジャー『溺れる人魚たち』 ガーニー『ラヴ・レターズ』
 

Monday, January 21, 2008

未来形の読書術 石原千秋 ちくまプリマー新書 2007

1 本を読む前にわかること
    言語論的転回(ヴィトゲンシュタイン)
    「命名される前の”名前を持たないもの”は実在しない」
    言葉が使えると言うことは嘘がつけるということ(黒崎宏)=嘘の裏側に嘘でない現実が実在すること
    「世界が言語である」として、その世界を認識する主体は自分だということ
    
2 小説とはどういうものか
    「電車男」は小説・文学か? (文学の定義はない)
     パラテクストが効いている面も大きい(新潮社が出版している)
    物語の4つの型でできている
    (内→外→内)浦島型
    (外→内→外)かぐや姫型
    (内→外)退行型(反立身出世)
    (外→内)成長型(立身出世)
 
3 読者はどういう仕事をするのか
     物の因果は人間の問題意識に依存する
     リアリティーを支える読者の好みは時代によって異なる
     古典が古典たり得るのは多くの読者による読み直しの努力の賜
     「内包された読者」(イーザー)
     「物語は一つの文である」(バルト)「~が~をする物語」「~が~になる物語」とパターン化
4「正しさ」は変わることがある
     評論は「ふつう」はこう思う(=内包された読者の位置)が、実は違う、がポイント
     しかし、この「ふつう」が時代とともに変わる (パラダイム・チェンジ)
     
   
永江朗『不良のための読書術』
平野啓一郎『本の読み方 スローリーディングの実践』
佐藤正午『小説の読み書き』
石原千秋『漱石と三人の読者』
ミシェル・アダン『物語集』
山鳥重『「わかる」とはどういうことか』
仲正昌樹『「わかりやすさ」の罠』
内田樹『先生はえらい』
苅谷剛彦『知的複眼思考』
鷲田清一『悲鳴をあげる身体』
永井均『ヴィトゲンシュタイン入門』
野矢茂樹『無限論の教室』