デイ多佳子 2000 日本の兵隊を撃つことはできない 芙蓉書房出版
目次
プロローグ ノースダコタ州ビスマルク収容所
1 日本語か英語か?—言語をめぐる日系人同士の対立
マイク正岡(戦後2回叙勲)は日系人の白人化を願った日本語のできない二世(ソルトレイクに育つ)
帰米2世の隔離を軍に進言、忠誠登録質問も。
2 アメリカへの忠誠登録に揺れる日系人—国家は血より濃かったか?
1942年、日系人の立ち退き、強制収容が行われる。市民協会はこれに協力(情報を提供して報酬を得る)
1943年、不忠誠の隔離が行われる。正岡は日系人の特攻隊も進言
3 帰米二世「ノーノーボーイ」たち—アメリカ市民権と武士道
不忠誠は一万三千人だが、2世の不忠誠はそのうち約二割で7000人、うち純2世が2600人、帰米が4400人(帰米人口の約四分の一)
二重国籍、または米国籍で日本で教育を受けた者で、帰米した場合、英語ができないとアメリカ人からだけでなく日系人からも差別を受ける。さらに立ち退き・強制収容・忠誠登録で、強く抵抗感をもつ。
4 日本への忠誠と敗戦—夢と挫折、そして再び武士道
1944年、国籍法が修正 2世の市民権放棄が可能になる。 アメリカ残留の意志の固い帰米2世は最初から反対
1945年、日本にいる家族のため、また祖国再建のため一部が帰国する。
アメリカに残った市民権放棄者は1945年放棄撤回申請をする。
5 バイリンガルとバイカルチュアルのはざま—追いつめられた子供たち
日系人への日本語教育 1903年サンフランシスコ、サクラメントに日本語学園設立、1世は2世を文化的に日本人として教育することを目ざしたが、英語で学校教育を受ける子どもとは文化的に乖離。
帰米2世山崎正雄「こちらで生まれ育った日系人たちに、親のルーツや文化を教えることはできても、思い出のないふるさとを教えることは不可能である」
自分の民族文化への確固たる誇りがもてないと、主流文化に対し愛憎入り交じる感情を持ち、結局は両方の文化社会に帰属意識がもてず、自分の居場所ー故郷ーをなくしてしまう。
エピローグ to be an American
著者は大阪外大、サンフランシスコ州立大TESL修了
「日米時事新聞」記者「ニューヨーク読売」のレポーターを経て、現在フリーランスライター
アメリカ人と結婚して、アメリカ在住。
編年で書いてもらえるともう少し読みやすいかも。
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