Friday, February 25, 2005

石戸谷滋 1991 日本を棄てた日本人 草思社

目次
プロローグ
 高度経済成長がはじまった1960年代なかば以降にアメリカに渡った「新1世」の多くは、日本食レストラン関係、旅行代理店、リムジンサービスなどの職につくようになる。新1世を取り巻く状況は厳しい(言葉・永住権)。日本人でありながら、日本人ではなく、かといって、アメリカ人にもなれない新1世…カリフォルニアに夢はあるのか?

1 寅さんのスシ・バー
 韓国・中国・ユダヤの強い同胞意識にくらべ、日本人はバラバラ。密告も多い。カリフォルニアの日本食店のシェフで、日本での
修行経験者は1割とも。以下・印はケース
2 ライスカレーの若者たち
 TVドラマ「ライスカレー」(脚本:倉本聡)ライスカレーの店を出すためにカナダへ渡った若者を主人公とするドラマ
 ・キャリアアップ留学で渡米し、延長、学費のためホステスなどの不法就労
 ・コミュカレ→専門技術・資格習得→永住権 の希望をもって渡米
 ・精神病をかかえて渡米(短期留学)→ストレスで再発
 ・衣料品店売り子→渡米して仕入れ・流通を学ぶ→英語学校・衣料品輸出業でアルバイト→永住権(3年)
 ・日本のレストランで6年修行して高給→たまたま友人に呼ばれ、渡米、自己を客観視→加州での成功を決意
 ・高卒後ビデオプロディユースを目的に渡米→ELSーコミュカレ、クラブでアルバイト
3 そして十年がたった
 ・高卒後渡米→ジュニアカレッジ→四大カイロプラティックコース、ドロップアウト→日式レストランマネージャー→永住権
   →すし職人弟子入り(留学生くずれタイプ)
 ・写真の会社で昇進に見切りをつけ渡米(35歳)→スクール後不法就労→結婚(大病などの苦労を乗り越える)
                                        (行き当たりばったりタイプ)
 ・仏教(禅宗)入門・小学校教員9年半→渡米、語学学校→カレッジ→州立大学マスター→恩赦(アムネスティ)適用で永住権
4 サバイバル・レースのなかで
 ・新1世、2世と組んで古いアメ車の輸出を手がけるが、中途で裏切られ何度も浮き沈みを経験。
 ・中学卒業後ホームステイしてアメリカのハイスクールに→大学で美術専攻→ツアコン(8年)→旅行会社設立
 ・京大卒大手自動車メーカーロス支店→ビジネス開始→3つの事業を並行 子どもの問題=2世のアメリカナイズ(5章)
5 凧のたどり着いた場所
 ・映画広告の会社を退社し、1年分の生活費を妻子に残して渡米、マクロバイオティックス(正食)実践の知人を訪問(39歳)
     →ロスのレストランのマネージメント→家族も加州へ→リムジンサービス
 ・下町の内科医、哲学教授の祖父から強い影響をうけて育つ→日本での離婚経験
     →老人福祉を学ぶため渡米UCLAマスターを目ざす47歳→50歳ぎっくり腰→エストニアからの亡命者の現夫から求婚
     →夫のアドバイスにより自宅に老人ホーム開設→カルドマのり子『老いのスケッチ』→ライター
 ・足の先天性障害 福祉の大学卒業後、盲人のためのケースワーカー→NYの福祉団体アビリティー見学予定で渡米(25歳)
     →加州立大、南加大修士→商業団体の事務職→加州でビジネス
6 カリフォルニアに夢はあるか
 1890s 農村の次男以下が稼ぐために渡米、達成できず、そのまま永住
 1901ー1924 日本人移民最盛期 「黄禍論」帰化法改正、排日土地法、アメリカ新移民法
 1942  日本人強制立ち退き大統領令(ルーズベルト)強制収容
 1952  ウオルター・マッカラン法 排日土地法撤廃
 1965  移民法修正法案 (民族による移民の差別撤廃
 1982  リトルトーキョー一斉手入れ事件  
 1987  新移民法

 ・幼稚園勤務→ホームステイ→アメリカ留学 語学、アダルトスクール
    →駐在員むけカウンセリング業務→大手塾事務部長(在米4年)
   (女性は渡米で成功例も多い)

著者は、もと岡山大教養部の英語教官、退職し文筆家となる
この本は退職前のもの(1989、90年取材)

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